ジュネーブ詩編歌について


※ジュネーブ詩編歌伴奏譜は、日本キリスト改革派教会トップページからも見ることが出来ます。

 

(「ジュネーブ詩編歌まえがき」より抜粋)

 

 カルヴァンは旧約聖書を重んじていたこと、中でも詩編が教理においても、信仰・敬虔においてかけがえのない教説を含むと認め、教会の中で詩編が用いられる努力を怠らなかった。

 詩編を信仰の実践、霊的養育の源泉として評価したのは、カルヴァンだけではない。詩編は、教会の長い歴史において、説教の中で取り上げられ、多くの註解は書かれ、礼拝の中で、祈られ、歌われ、瞑想されてきた。

 

 カルヴァンが最初の旋律付きの詩編歌集をシュトラスブルクで出版したのは1539年でした。この時韻律化された詩編は19編でした。150編全部を収めた完全版が出るのは1562年です。この23年間に、さらに50の詩編歌と83の詩編歌の二つの過渡期的出版がありました。

 本家ジュネーブ詩編歌の作成は、それぞれの分野で超一流の人材が参加することによって実現しました。すなわち、詩人クレマン・マロ、テオドール・ド・ベーズ、作曲家ロワ・ブルジョワ、そして事業全体の牽引者であったカルヴァンその人などです。そして出来上がった詩編歌は会衆の讃美歌として、ジュネーブ教会の礼拝の中にしっかりと根を下ろしました。

 

 日本のプロテスタント教会は、欧米の讃美歌の旋律と歌詞を受け入れて歌ってきました。しかしその過程で日本人の教会で歌いやすいように手が加えられました。特に歌詞は多くの場合、原詩を極端に短縮しました。詩編も例外ではありません。ジュネーブ詩編歌は詩編そのままを朗読・朗唱するのではありません。125の旋律に合わせて、各詩編を数節あるいは数十節の有節歌詞に整えて歌うのです。牧師や会衆の好みに合わせて詩編の一部を歌うのでもありません。私たちにはなじみの薄い新しいスタイルですが、改革派教会の会衆賛美にはこのスタイルが最もふさわしいと言えます。

 「詩編を歌う」という伝統は旧約の時代から今日まで連綿と続いており、現代の教会においても賛美の中核をなすべき重要なものです。日本キリスト改革派教会でも、礼拝指針において詩編を歌うことの重要性を認め奨励していますが、今日まで実際にうたうことの出来る形で日本語に訳されたものはありませんでした。

 

 宗教改革者カルヴァンは、神の霊感を受けて書かれたものだけを賛美に用いるのが良い、と考えて、詩編とその他新約聖書に現れるいくつかの歌のみを礼拝中の賛美として用いました。その際、音楽にのせて詩編を歌えるようにするため、詩編の新たな韻律訳を作らせました。韻律訳とは、詩編をそのまま朗誦(ろうしょう)するのではなく、一定のリズムを持った旋律にのせて歌えるように音節数を調節しながら訳したもののことです。この歌えるように整えられた詩編はPsalmと呼ばれ、他の讃美歌Hymnと常に区別されてきたのです。ルターなど他の宗教改革者も詩編を歌わせることを重視しましたが、詩編全部の正確な韻律訳を計画したのは、カルヴァンだけでした。この韻律訳はカルヴァンの後テオドール・ド・ベーズに引き継がれ、1562年に完成しましたが、瞬く間に全ヨーロッパに普及し、プロテスタントのみならずカトリック教会にも影響を与えるほど知られるようになったのです。

 

 カルヴァンは1542年版の序文の中で、人々を楽しませたり家庭で演奏する音楽と、教会において神とその天使の前で歌われる詩編歌とは自ずから大きな違いがある、と述べ、礼拝における賛美のために特別な音楽が必要であることを認め、その歌の神聖と純潔を求めています。さらに、「悪しき言葉はただでさえ良い品性を破壊するが、もしこれに旋律が加わったならば、心を刺し通し、丁度ワインを漏斗でビンの中に流し込む時のように、毒と腐敗を心の底の底にまでまき散らしてしまう。ではどうしたらよいか。すなわち、歌は単にまじめであるばかりではなく神聖でなければならず、神を愛し、畏れ、崇拝し、栄光を讃えるために、牛を駆る刺棒のように、我々の神への祈りと賛美を刺激し、神の業を瞑想させるものでなければならない。」と述べています。